1968年にトレーニングシューズとして誕生して以来「Puma(プーマ)」が誇る大定番クラシックコートモデルとして不動の地位を築いた「PUMA SUEDE(プーマスウェード)」。
1968年に開催された「メキシコオリンピック」陸上競技200mにて"金メダル"を獲得しながらも、黒人への人種差別に対する"ブラックパワー・サリュート(拳を高く掲げブラックパワーを誇示する)"という政治的パフォーマンスが引き金となり"金メダル"を剥奪された陸上選手「TOMMIE SMITH(トミースミス)」氏が、表彰台に上がりパフォーマンスの際に着用していたトレーニングシューズが数々の歴史の始まりとされ、1970年代には「NBA(ナショナルバスケットボールアソシエーション)」でもトップクラスの人気チーム「NEW YORK KNICKS(ニューヨークニックス)」にて目覚しい活躍で脚光を浴び、コート外でも独自のファッションセンスで当時のファッション誌の表紙を飾る等多くのファンを魅了し、引退後には「NEW YORK KNICKS」時代の背番号"10"の永久欠番や、「NBA」の"50周年"を記念した"NBA 50周年記念オールタイムチーム"の50人の偉大な選手、"バスケットボール殿堂"入り等の偉業を成し遂げた往年の名プレーヤー「WALT FRAZIER(ウォルトフレイジャー)」氏のシグネチャーモデル「CLYDE」は、「WALT FRAZIER」との契約終了後にも継続生産され、当時インターナショナル品番のみでモデル名すら無かったこの「ブラッチャー(外羽)」タイプの"スウェードモデル"が、いつしか「PUMA SUEDE」と呼ばれるようになりました。
更に、80年代のヒップホップシーンに旋風を巻き起こした「BEASTIE BOYS(ビースティボーイズ)」や、プロスケーターでありながら執筆活動等でもマルチな才能を発揮している「SCOTT BOURNE(スコットボーン)」氏を始め、多くの有名アーティストから各界の著名人に至るまで愛され続ける「PUMA SUEDE」は、「Puma」のブランドヒストリーを紐解く上で欠かす事の出来ない最重要な1足でもあり、様々なサブカルチャーやファッションアイコンにも多大な影響を与え、スニーカーヘッズからファッションフリークまで世界的定番モデルとしても認知されています。
そして、2010年3月に世界プロジェクト「from the PUMA ARCHIVE(フロムザプーマアーカイブ)」のリ・スタートとしてゲリラリリースされた「SUEDE CLASSIC(スウェードクラシック)」は、1980年代後半に生産拠点が「ヨーロッパ(旧ユーゴスラビア)」から「アジア(台湾)」に移り「日本」では1991年から展開されていた「PK0814(当時の品番)」を忠実に再現。
近年では「SUEDE CLASSIC」をベースに、ピストやBMXを中心に高い人気を誇っているストリートバイクカルチャーから着想を得たNewモデル「SUEDE CVO CYCLE(スウェードクリーンバンプオーバーレイサイクル)」や、現在のスニーカーシーンでは稀な「日本」で製造され厳選された「レザー」のみを採用し、既存のモデルとは一線を画す贅沢な風合いも魅力のひとつとなっている「匠(タクミ)」コレクションがリリースされ話題を集めまています。
そんな「日本」から「世界」に向け発信するスペシャルプロダクト「匠」コレクションより「JAPAN SUEDE MID(ジャパンスウェードミッド)」のNewカラーがゲリラリリース決定。
今作は「Sneaker Tokyo vol.3 "Puma as You've Never Seen them Before"(スニーカートーキョーvol.3あなたの知らないプーマ)」にも登場し、これまで「Puma」と密な関係を築き上げてきた縁の深い3人、「mita sneakers(ミタスニーカーズ)」の「国井 栄之(クニイシゲユキ)」、「UNDEFEATED(アンディフィーテッド)」の「山田 一徳(ヤマダカズノリ)」氏、「magforlia(マグフォリア)」の「山田 隆也(ヤマダタカヤ)」氏を迎え、"原点回帰"をテーマに導き出したそれぞれの自由なイマジネーションをプロダクトに反映させています。
数多くのブランドとのコラボレーションモデルや別注モデルのデザインを手掛けるだけではなく、世界プロジェクトから国内インラインのディレクションまで多岐に渡りスニーカープロジェクトに携わり具現化し続ける「mita sneakers」のクリエイティブディレクター「国井 栄之」が提案する今カラーはノーブルな印象が漂う「ホワイト」のモノトーンカラーを選択。
「日本」の優れた職人技術や今コレクションに携わる全ての人の拘りがプロダクトを通して感じ取れるよう、あえて色分けされた配色美では無く、裁断や縫製等の生産過程において多くのリスクを伴い、生産が困難とされる「ホワイトスウェード」を全面に採用し、この「JAPAN SUEDE MID」が緻密な生産工程をクリアしたからこそ完成されたプロダクトである事を証明しています。
また現在でこそ多くのカラーリングが毎シーズン展開され、2011年には古来から伝わる"染色法"である"藍染め"の技術を駆使し具現化したオフィシャルコラボレーションモデル「PUMA SUEDE MID MITA "mita sneakers別注" "LIMITED EDITION for The LIST"(プーマスウェードミッドミタスニーカーズミタスニーカーズ別注リストリミテッドエディション)」がリリースされる等、大きな注目を集める「PUMA SUEDE MID」ですが、2002年当時「日本」での正規販売が無く「アメリカ」のみの展開だった「PUMA SUEDE MID」に一早く着目した「HECTIC(ヘクティク)」の「江川 芳文(エガワヨシフミ)」氏と「国井 栄之」のリクエストにより「JAPAN LIMITED(ジャパンリミテッド)」として「日本」における展開がスタートしたというアナザーヒストリーが存在。
「ホワイト」は、当時「JAPAN LIMITED」としてリリースされたカラーリングの1つであり、「日本」における「PUMA SUEDE MID」の歴史を語る上で欠かす事の出来ないバックボーンに裏打ちされたカラーリングでもあります。
更に今作の「シューレースチップ」には「シュータンロゴ」に使用されている「グリーン」を採用し、日本人の"奥ゆかしさ"を表現したさり気ないアクセントをプラス。
「ラスト(靴型)」には「PUMA SUEDE MID CLASSICS」と同様の物を使用する事で細身のシルエットに仕上げ、「シュータン」部には"日本製"である事の証明に「made in JAPAN(メイドインジャパン)」そして、製造足数である「シリアルナンバー」が「刻印」されたエクスクルーシブな仕様を凝縮しています。
奇しくも、今回「Puma」がパートナーシップを結んだ3人が提案したカラーリングは70年代にリリースされた「CLYDE」を代表するカラーリングであり、「Puma」の長い歴史の中でも特別な意味を持つ配色。そんな"偶然"が生み出した"必然"に導かれ、「日本」の職人技術と匠の技、そして現代解釈が生み出す独自の感性が融合する事で完成した日本人ならではの拘りと普遍的な魅力を今作の「匠」コレクションから感じ取って見ては如何でしょうか。